悲しみの河を生き抜く

悲しみの河を生き抜く

 2021年4月9日(金)のわかちあいは、京都聖ヨハネ教会にて、久々にzoomではなく、対面形式で行い、5人の方が参加されました。

 今回は、「春の体調の変化とその対処法」ということをテーマとしてわかちあいました。一般的には、「木の芽時」と言われるこの季節は、精神的に不安定になり調子を崩す人が多いと言われていますが、今回の参加者においては、あまり季節に左右されることはなく、調子の良し悪しがやってくるという声が多く聞かれました。

 わかち合いが進む中で、精神疾患を抱えての就職活動の話題となり、活動を始めるタイミングや、雇用者側へ自身の精神疾患をオープンにして活動をするのか、クローズのままで行うのかという問題が提起されました。

 精神疾患は、一度かかると完治することが難しい場合が多く、またその調子にも波があります。それに加えて、外見からは病気を患っていることが分かりにくいため、他人に病気の辛さや状態を理解してもらうことがとても困難であるという特性を持っています。そのため、他人から「元気そうだね」と声をかけられると、調子が悪くてもつい「うん、元気だよ」と応えてしまうことがあるというエピソードが語られ、一同深く頷きました。

 このような性質を持つ精神疾患にかかってしまった私たちは、まるで常に「悲しみの河を生きているようだ。」と表現された参加者がおられ、この言葉にも一同深く共感しました。

 ユダヤ人として強制収容所に送られ、生き延びた医師であるV・E・フランクルは、「私たちが『生きる意味があるのか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。」と述べています。

 精神疾患という河の中に投げ込まれてしまった私たち、なんとかこの河から抜け出して楽しく泳ぐことのできる河へ移りたい、陸地に上がって人生を謳歌したい等々という願いは尽きません。それでも、もしも強制収容所という地獄の河を生き抜いたフランクルの言葉が真実だとしたならば、私たちも、精神疾患という悲しみの河の中でもがく自分を卑下することなく、「この『悲しみの河』をいかに生き抜くのか」という問いに、途方もなく苦しいことですが、勇気をもって日々応えていくことを求められているのではないかと考えさせられました。