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死にたくたって

 

今日は雨にも負けず7名で分かち合いをしました。久しぶりにリアルに教会のホールで顔を合わせ、会話がスムーズで良かったです。ほんとコミュニケーションって言葉と画面だけでは伝わらないものが大きいものですね。

 

今日のテーマはズバリ「ほかでは言えない死にたい気持ち」。ほんとにこれだけはマ・カタリーナでなければあまり口にすることもないし、しない方が良い気持ちです。でもここでは口にして言葉にして涙にして分かち合うことで、私たちは少しずつ癒され慰められ孤独から救われていきます。私自身は特に、友達にさえそんな気持ちを言うことが苦手なので、マ・カタリーナの分かち合いにはとても救われます。

 

「死にたい」なんて積極的に意思を強くして思うことはあんまりないかもしれません。それは別の表現の下に隠れていることがあります。「このまま起きたくない」「消えたい」「もうこれ以上苦しみたくない」「楽になりたい」「もうイヤだ。」そう思うと、自分自身でも気づかないうちに、死にたいと思っているのかもしれません。

 

「そんな自殺なんてしたらあかん。」特に家族がいる責任や、社会一般からのメッセージとして、そう感じることもあります。実際にそれが、最後に踏みとどまる「土俵」の役目を果たしていることも否めません。でも、だからと言って、「死にたいなんて、絶対思ったらダメだ」なんて考えてしまうと、もっともっと苦しくなるのです。(しかも、そこまで言ってしまうと、実際に自ら死を選んだ大切な人たちまで否定してしまうことになる気がしまうのです)

 

「死にたい」は「しんどい」です。だから「死にたいくらい」しんどい気持ちを自分が持っていることは認めてあげれば良いのだと気付かされました。しんどい自分を大切に愛することこそ、他人を大切に愛することの始まりですから。お互いに告げてあげましょう。自分に言ってあげましょう。「死にたくたってもええやん。」「それでも今までよくなんとか踏みとどまって生きてきたな。」「あんたよう頑張ってるな、あんまり頑張りすぎなや。」

 

自分の「死にたい」を優しく認めてあげる。それが私たち自身がいま願っている「生きたい」を認める入り口なのかもしれません。