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うつの小舟

93日の分かち合い、勇気を出して参加してくださった新しい方二人を含め、7名で行うことができました。あいづちを打ちにくいオンライン開催ですが、マスクがないので表情がよく分かるのが嬉しいところです。

 

きっかけのお題は「泣けてくるとき。」わたしたちの心の底にはいつも「悲しみの川」が流れているのですが、それが溢れるときがあります。実際に涙が出ても出なくても、泣けてくるときがあります。私にとっては「少しでも元気になりたい」とすがるような気持ちで銭湯にぽちゃんと浸かっているとき、悔し涙、情けない涙、不安な涙が流れてきます。(そして流されていきます。みなさんはどうですか。

 

それぞれの色んな場所や時を分かち合いました。小さな日常から、非日常的な瞬間まで。だいたいに共通しているのが「誰もそばにいない独りでいるとき」です。孤独感と寂しさと寄るべなさが、悲しみの川を増水させて堤防を決壊させまいます。否定的な感情は無限ですね。だからこそマ・カタリーナのような場所で少しでも分かち合えることは少しの癒しになります。堤防の修復工事です。

 

そんな中で新しい世界を見させていただきました。それが言葉の世界です。私たちは「うつ」の孤独や寂しさを通してしか世界を見ることができません。いや、逆に言うと、見ることができます。そして人が同じ孤独の感性を通して紡ぎ出された言葉を聞くと、私たちの「うつ」の心が響きます。孤独の言葉に心が響くのです。そのとき心は動き、癒やされます。それは詩であったり、歌詞であったり、分かち合いでの言葉であったり、(私にとっては)聖書の言葉であったりします。うつの辛さと孤独は無限の悲しみの川です。でも私たちは言葉の小舟に乗って、無限の川の上に浮き、相手の岸へと行き来して、響き合うことができるのです。

 

私が好きな言葉です。

 

  「涙のうちに種まく人は、喜びのうちに刈り取る

   種を手に涙を流して出ていく人は、束を抱え、喜びに溢れて帰って来る」

   (聖書「詩篇」第1265-6) 

 

この詩人の孤独はどれほど無限のものだったのでしょう。しかしそれでもそれでも、泣きながらでも、種を袋に入れて抱えて種まきに出ていきます。耐え忍びながらそうしていれば、いつの日か、喜び溢れる収穫の束を抱えて帰ってくる。聖書の神はそう約束します。そう、これは祈りの言葉です。

 

みなさん、私たちのうつの心は大切な小舟です。この小舟で私たちにしか聞き得ない響きを聞いて、自分たちも響き合いながら、この孤独な旅路を共に歩んでいきましょう。

 

ジョン