「うつ」でもみんな生きている

 10月1日(金)、京都聖ヨハネ教会にて分かち合いを行いました。参加者は8名。

今回は、「うつの時の過ごし方」をテーマに分かち合いました。

一言で「うつ状態」と言っても、様々な体と心の不調や、多少の活動はできるレベルからほとんど寝たきりのレベルまで、その状態は人により時により千差万別であることを分ち合いました。また、自身の睡眠の状態を把握することがうつの改善の助けとなることにも話が及びました。

 今回の分かち合いを通してとても心を揺さぶられたことがありました。

それは、わたし達はたとえうつ状態のさ中に在る時にもゼロではない、生きているのだ、ということに改めて気付かされたことです。

わたし達は日々、少しでもうつの苦しみを和らげるために模索し、自分なりの試行錯誤を重ねながら必死に生きているのです。

 わたし達はうつ状態に陥ると、世の中の人々がキラキラとして映り「なぜ自分だけ社会のレールから外れてしまったのだろう」と嘆いたり、元気だった頃の自分を思い起こして「どうしてこんなに何もできない自分になってしまったのだろう」と悲しんだり、将来の不安に押し潰されそうになったりしてしまいます。

しかし、一方でわたし達はそのような嘆きや悲しみや不安の中に在る時でも、たとえそれがほんのささやかなものであっても喜びや楽しみを感じる心を与えられています。

 先日観た、あるうつ病の方に密着したドキュメンタリーで、番組の最後に主人公が「具合悪いけど楽しい」と笑顔で語っておられた姿が今でも強く印象に残っています。

うつの辛さは「楽しい」と言えるほどに生半可なものではありません。しかし、それでもわたし達は、もしかすると、地を這うようなうつの苦しみを経験したからこそ、この世にそっと隠されているキラキラと静かな光りを放つ宝物を見つけることができているのではないか、そんなことに気付かせていただけた分かち合いでした。  世話人 パウラ