理解者は必ずいる

 1月6日(金)、2023年第一回目の分かち合いを行いました。参加者は7名。今回のお題は「家族、親族との関係について」です。

分かち合う中で、家族や親族に病気のことをオープンにして親しい関係をもっておられる方、家族や親族に病気のことを伝えても思うように理解を得ることができず辛いを思いをされている方、病気のことを伝えているけれど、どこまで理解してくれているのかよくわからないという感触をもっておられる方、等々、家族や親族との関係は、人それぞれなのだということを知りました。

 小さい頃からいつも一緒に遊んでいたいとこ、可愛がってくれたおばさんやおじさんだからといって、必ずしも病気のことを包み隠さず話せてよき理解者になってもらえるとは限らない。同じ屋根の下で共に暮らしている夫婦だから、親子だからといって、必ずしもよき理解者としていつも思うように相談に乗ってくれたり、調子の悪い時に痒いところに手が届くようなサポートをしてくれるとは限らない。それがこの世の常なのだということを改めて実感しました。

 私自身はといえば、わたしの家族はわたしの病気のことを知っていて、精神疾患を患ったからといって不当に差別することもせず、いわゆる「暖かく見守り支えてくれている」関係であると感じています。でも、わたしはそんな家族に、鬱状態になりしんどい時に「しんどいから休ませて」とはどうしても言えずにいます。わたしのこの状況は、教科書的にはあまりよいことではないのでしょう。けれども、最近わたしは、家族にしんどさを打ち明けられずにいるわたしもそれはそれでよいのではないかと思うようになりました。一番身近にいる家族に、しんどいと言わないことで、自分を保っている自分を肯定してあげようと思うからです。

 勿論、家族や親族との関係が良いにこしたことはありません。家族や親族になんでも話せて辛いときに一番力になってもらえる関係であることはベストであるかもしれません。

それでもわたしは、必ずしも家族や親族に最上の関係を求めなくてもよいのではないかと思うのです。「家族だから、親族だから最大の理解者でなければならない」と思うことで、わたしたちはかえって苦しい思いをしなければならなくなります。

もしも家族や親族が最大の理解者であれば、それはもうけもの。もし思うように理解が得られなくても、それは仕方のないこと。そう思うことで少し気持ちが楽になる気がします。

 今回の分かち合いを通して、わたしは大切な気づきをいただきました。それは、もしも家族や親族から思うような理解が得られないとしても、この世の中には必ずわたしたちのよき理解者になってくれる人がいるということです。自分の病気のことを打ち明けることができ、お互いに理解しあえる関係を築くことのできる人が、たとえそれが家族や親族でなくても、この世の中には必ずいるのだということを確信することができた分かち合いでした。

 「しんどい」「苦しい」「辛い「嬉しい」「楽しい」……そんな様々な気持ちを、自由に語り合い、明日も生きてみようと思える希望を育みあえる場として、マ・カタリーナは今年も歩みを続けて行けたらと、思いを新たにしました。   パウラ