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夢があってもいいじゃない

2月の分かち合いは新しい方を含めて11人が集まりました。テーマは「三年後の自分への希望」です。

 

前半はフリートークでした。新しい方を含めて、今までのしんどかった体験、今現在の悩み、これからの不安を語り合いました。やはり、ほかでは言えないしんどさを話していい場所、人のしんどさを聞くことで少し自分を見つめ返せる場所の大切さを実感しています。世話人ながら、私自身も毎回この会に慰められ、自分を見つめ直し、励まされています。

 

後半は「自分への希望」です。具体的には、1)明日したいこと、2)三年後にしたいこと、3)生涯かけてしたいこと、または死ぬまでにしたいこと、のどれかを分かち合う、ということをしました。

 

このテーマを見て、私もそうですが、みなさん最初に言われたことは「しんどくて何もしたくないし、今日明日がしんどいのに、そんな先のことなんて考えられない」です。私たちの思考はそれがデフォルトだと思います。(双極性の方は少し違うかもしれません。軽躁のときには自分の容量を超えて、したいことが溢れてきますからだから、あえてこのテーマです。目的は、少しでも病気のせいで自分の中に置いてけぼりにしてきた「したいこと」や「夢や希望」を思い起こし、できれば積極的な心になれるか挑戦してみることです。

 

そうすれば意外や意外、「何も出ないかなー」と思っていましたが、たくさん出ました。明日食べたいものから、行きたいところ、会いたい人、病気を解決すること、ストレスを跳ね返すこと、趣味の発展、生きがいの実現、そして慎ましやかな小さい幸せの日常まで・・・。

 

そんなみなさんの願いや希望の共通点は、自然なことなのですが、自分の病気や体験と関係しているところです。とくに、病気やその体験をなんらかの形でプラスにしたい、という願いに共感しました。病気の体験を分かち合うこと、しんどかったからこそ出会った表現方法、暗闇のような日に感じとった生きていく力・・・もともと、このマ・カタリーナの活動もそんな願いから始まったのです。

 

こうして希望を語り合っていると、いつものメンバーが少し違った人に見えてきました。当然のことながらマ・カタリーナではしんどく暗い思いが分かち合われます。それが慰めだからです。しかし、一人の人はもっと大きいのです。ただ「しんどいこと」だけによって成り立っていません。たとえどんなに苦しくて何にもしたくなくても、それでも自分のどこかに願いや希望があります。うつの時は何もしたくなくて絶望していて、元気(または軽躁)のときは願いや希望がある。そんなアンバランスな心ですが、その両方があっての自分でいいんじゃないかな、と感じました。

 

絶望も希望も自分です。諦めも願いも自分です。やる気のない自分もやる気に溢れた自分も自分です。過去も未来も自分です。病気も健康も自分です。希死念慮も生きがいも自分です。否定も肯定も自分なのです。

 

末期ガンの方でも生きがいや夢があってもいのですから、精神を病んで絶望しがちな私たちにも、生きがいや願いや夢があっていいはずです。実現不可能かもしれない、明日になったらやる気が出ないかもしれない、それまで生きていないかもしれない。それでも今の瞬間だけでも、夢があってもいいじゃないか。そう自分に言い聞かせたいと思います。だって病気に人生を支配されたくないからです。自分の人生は自分のものだからです。

 

ジョン