病気ゆえの貴重な体験

 12月2日(土)京都聖ヨハネ教会にて分かち合いを行いました。参加者は16人。今回のお題は「病気ゆえの貴重な体験」でした。

 病気になったからこそ得られてこと―人との出会い、家での充実した時間等々―参加者から様々な思いが出されました。

 「病気ゆえの貴重な体験」このことについて考えるとき、みなさんはいかがでしょうか?本心のところでは、「病気になってよかったことなんてあるわけがないじゃないか」と思っておられないでしょうか?実のところ今回のテーマを提供しつつ私自身がそう思っているのです。正直なところ病気ゆえの貴重な体験なんて無理がある。病気になんかならないほうがよかったに決まってるではないかと私は思っています。

 それならなぜこんなテーマで話し合ったのでしょうか。それはおそらく病気になって辛いけれどせめてもそれをポジティブに受け止めて生きていかなければあまりにもやりきれないからなのだと思います。

 わたしは精神疾患を発症し、何年も悩み続け、生活の仕方を模索し続けた結果、がむしゃらに走り続けることだけが人生の醍醐味ではないこと、例えば出勤前のホームにぼーっと座って眺める空とそこに浮かぶ雲の美しさを味わう楽しみを知りましたし、世の中には自分には計り知れないような苦しみや悲しみを抱えながら生きておられる方々がたくさんいることを知りました。

 病気ゆえの貴重な体験、それは決して嬉しいものではありません。ただ一つ今のわたしに言えることは、病気になり苦しみや悲しみが増えた分、生きていくうえでの価値観が大きく変えられ広げられたという体験です。それは少し悔しいけれどやはり病気ゆえの貴重な体験ということになるのかもしれません。 パウラ