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生きてることに意味がある

自分をゆるしてあげる

 

2月3日の分かち合いは12名で行いました。とっかかりのテーマは「ゆるしてあげたい自分」でした。私の感想です。

 

わたしたちは病気のせいか、それとも性格のせいか、ともすると自分に厳しくなりがちです。完璧主義であると95パーセント成功している自分でも許せません。だから体が壊れるまで頑張ってしまいます。そして病気やうつ状態のせいで、したいことやすべきことができなくなると、もっと自分を責めてしまいます。「こんなこともできない自分なんて、だめだ。意味がない」と。他人がそのように自分を責めていたなら「そんなことないよ、そこまで責める必要はないよ」と言えるのに、自分のことになるとそうは思えず、自分をゆるすことなく、常に心のどこかで責めています。

 

だから、もういいよ、と自分に言ってあげたいのです。病気になるまで自分を責めたのだったとしたら「もう責めなくていいよ」と。

 

「ゆるしてあげたい自分」について語り合っているなかでその根本的テーマ浮かび上がってきました。それは「生きている自分をゆるす」ことです。人に比べて、過去の自分に比べて、よく働けていない、よく動けていない、頑張っていない自分がいます。もっと言えば病気が悪くなると、何にもできなくなって、寝ているだけになって、生きているだけになっている自分がいます。生きていることに何の意味もないように感じることがあります。それでも、そんな自分をゆるしてあげたい。「生きているだけで意味がある。」「自分が今ここで生きていることに意味がある。」「これからも、たとえ何も大したことができなくても、自分が生きていることに意味がある」

 

自分をゆるす、ということは自分を受けいれることです。「こんな自分でも、良い」と肯定することです。他の人にどう見えても、自分が今ここで生きていることには意味がある。どんな意味か、具体的なことはわからない。でもいつか分かる日が来るもしれない。でもとにかく、意味がある。そう信じることだと思います。

 

聖書のことばでは「あなたはわたしの愛する子」と神さまから宣言されていることを信じることに繋がってきます。(良い)親は、自分の子どもの能力ではなくその存在そのものを愛します。何もできなくて生きているだけでも、親にとって子どもの存在は自分の人生と同じかそれ以上の意味を持ちます。同じように神さまは私たちの存在を「生きているだけで意味がある」とそのままゆるして、愛して、生かしてくれていると信じることが大切だと思わされました。

 

だいぶ「牧師の説教」のようになってきてしまったのでやめますが、「生きてることに意味がある」という真実に、マ・カタリーナのメンバーは、何度となく強烈に気づせてくれます。

 

皆さんも、ぜひ次回3月2日、13時、ご参加ください。