分かってもらえるって奇跡!

 3月2日(土)、京都聖ヨハネ教会にて分かちあいろ行いました。参加者は11名。今回のお題は「かけてもらって嬉しかった言葉、嫌だった言葉」です。

 思いのほか嬉しかった言葉がたくさん出されたことがとても印象的でした。

かけてもらって嬉しかった言葉を一言で表現するなら、それは「共感」と「承認」に満ちた言葉ということになるのでしょうか。しんどさや辛さに心底共感してもらえたことが伝わる言葉や、「今のそのままのあなたでいてね」という肯定と承認に満ちた言葉にわたしたちは救われながら生きているのだということを改めて感じました。

 逆にかけてもらって嫌だった言葉については、言葉をかけてくれた相手には全く悪気はなく、むしろよかれと思ってかけてくれた言葉に傷ついたりひっかかりを覚えたりするときにわたしたちはとても戸惑うという体験を共有しました。

 今回の分かち合いで、わたしは、人が人を分かるということは奇跡的なことなのだと改めて思いました。病気の辛さを他人に分かってほしいとわたしたちは期待しがちですが、実は分からないことが当然、分かってもらえたと思うことがあればそれは奇跡的なことなのではないでしょうか。

 病気を抱えて生きていると、日々些細な他人の一言に敏感になってしまいがちですが、時折他者に分かってもらえたと感じた時には大いに感謝し、分かってもらえていないと落胆した時には、分かってもらえなくて当然と淡々とその事実を受け止めて、傷ついた心を風の中に解き放ち、前を向いて胸を張って生きていけたらいいなあと感じました。 パウラ