変えられない苦しみを抱いて生きる

 7月6日(土)、13人の参加によりマ・カタリーナの分かち合いを行いました。

今回は「自分の現実を受け容れた体験」というテーマでそれぞれの思いを語り合いました。

 私の学生時代の忘れられない体験です。

長年重い精神疾患を患い精神科病院に入院しておられた方に、「障害の受容ってどういうことだと思いますか」と質問を投げかけた時のことです。その方は、とても残念そうに「諦められないって悔しがりながら諦めることかな」とおっしゃったのでした。

 本日の分かち合いの中でも「諦める」という言葉が何度か聞かれました。

諦めるというとマイナスなイメージですが、実は、「諦める」という言葉の語源は、「明らむ」つまり、「つまびらかにする」ということだそうです。そして、「諦」という漢字には「真理」「道理」という意味があるのだそうです。

 自分の病気や障害を受け容れるとは、両手放しで「病気よ、障害よ、ウエルカム」などということではないと思います。病気や障害を受け容れるとは、どのようなメカニズムで病気や障害が起こったのかということをある程度知り、他人や自分を責めることをやめ、変えられることは前向きに改善する努力をし、自分の力では変えられないことは、そのまま付き合っていく覚悟を持つこと、それはつまり、諦めることなのではないかと改めて感じました。

 自分の力ではどうにも変えられない苦しみを抱いて歩いていく人生は、並大抵の辛さではありません。しかし、そのような辛さを抱えながら歩む道のりだからこそ、出会える花があり、見える空の色があり、巡り合える人がいる。涙の彼方には必ず美しい夜明けがあることを信じて生きられたらいいなと思いを新たにさせられた分かち合いでした。 パウラ